パニックとうつ状態を同時にしていた最初の年、私は完全に引きこもり状態でした。
半年間ね。
いや、寝たきりっていった方が正解か。
たまたま晩秋から春にかけての間だったので学校行事(そのころはまだ2人の子どもは保育園児)もなく、思う存分引きこもれた…いや、寝たきりでいれたのも問題だったのでしょう。
体力ゼロでパニックやうつ病になっちゃいましたが、だからといってそのまま引きこもっていたら、次は立てなくなったんですよね。
今回は、そこらあたりのお話と、寝たきりから脳みそまで冬眠しちゃったお話です。
それを改善するためにやった、アレコレを紹介しますね。
*筋力とともに知力も低下!!
はい、寝たきりになっていました。
具体的には2011年の11月の終わりころから正月あけて2月に入るくらいまでですね。
私は過労が原因で倒れたために、かなり体力のないうつ病患者でした。
見る世界は何から何まで灰色、食欲もなく睡眠障がいがあるくせに1日中眠っており、あまりにつらくていっそ死にたいと思うけれど死ぬ元気もない、という状態が2か月ほど続いていました。
子どもの保育園への送迎は実家の母にお任せし(母は仕事を退職したばかりだったため、サポートがとても助かりました)、私は寝ているだけ。
ただひたすら真っ暗な闇の中にいる自我をなんとも出来ず、横たわっていました。
まずきたのが、筋力の低下です。
2階にすら自力で行けなくなりました。
階段の途中で力がなくなり、呼吸もしんどく、これ以上階段を上がれない~ってなるんです。
夫がおんぶして、毎日寝室へつれていってくれたものです(朝、下の階におりるときには、1段ずつ10分ほどかけて座りながら降りてました)。
テレビも観ないし音楽も聴かない、人間の3大欲求すらない、魂レベルでほぼ化石の状態でしたよね。
よく耐えてくれたものです、家族がね。
しかし何とか自宅にいることに慣れ、パニック障がいの原因となった過労状態が緩和され、うつ病状態を抜け出したあと、私は愕然としました。
頭、バカになっちゃってて。
そう、筋力と共に、知力も低下していた模様です。
人間の脳みそには刺激が必要なんですよ。
でもパニックとうつをもってたら、刺激はできるだけ避けようとしますよね。
その結果、物忘れがひどくなりました。
出てくる言葉がアレコレソレ
まず単語が出てこないんですよ!
「ほらあ~なんやった? アレやん、アレ! 」ってな会話ばかりです。
まだそんな軽やかに言えたらいい方で、「えっと…あれ…? なんやった…かな、ほら…」みたいな、しどろもどろでどんどん声は小さくなっていくし、急速に自信もしぼんでいく、みたいなね。
ちょっと良くなってきたころに知り合いの居酒屋、焼き鳥屋で昼間の仕込みのアルバイトをしたんですが(それが最初の社会復帰でした)、そのころにはもう物忘れがひどいのなんのって!
70代前半の焼き鳥屋の大将とともに、「アレコレソレしか出てこない会話」をしてましたね。
仕事中であればそれでも会話が成立しますし、お互い何を言ってるかがわかることが多いので、特に困りはしませんでしたが。
焼き鳥屋のアルバイトについては、以下の記事をよかったらどうぞ。
私の社会復帰の足跡です。
職場で何をしに来たか忘れる
これはその焼き鳥屋での仕込みバイト中もでしたが、とにかく何をしに来たかを忘れるんです…。
仕込み中に「あ、そうだ」と思って冷蔵庫まで歩いていき、「え? 何をとりに来たんだっけ? 」とやる。
首を傾げながら元のポジションまで戻って仕事を再開し、「あ、ネギを取りに行ったんだった」と思い出すんです。
酷いときには「あ? ここで何してんだっけ?? 」ってときもありました。
流石にそれは、大将も笑うしかなかったようですが。
「仕込みしに来たんでしょ! 」ってそこから突っ込まれました。
はいはい、そうですよね。
でも私はビールの樽の前で、何つったってんだろう、って思ったんですよ…。
3歩もあるけば頭の中が空っぽ、それまで考えてたこと全部忘れるって感じでした。
説教中に単語がでてこずに絶句する
職場だけでなく、家でもそうでしたね。
子どもらと話していて、子どもの担任の先生の名前が出てこないとか、しょっちゅうですよ。
一番自分でもイライラきたのが、こどもを叱ってる最中に単語を忘れること。
「あんたいい加減にしなさいよ! 踏んだらあかんって言うたやろ! ほら、あの――――――…」
・・・出てきやがらねえぜ、言葉がっ!!!(´;ω;`)
怒ってる最中なのに、これは決まり悪いですよ。
たま~に叱られている子ども本人に「洗濯ものやろ、お母さん? 」なんて助けられるとね。
いやいやいや、台無しですよ、説教が。
そして、驚くことも増えました。
だって、冷蔵庫開けたら財布が鎮座していたのだもの。
誰だ、ここに私の財布仕舞ったの。
いや、そら私だわね。
だけど全く覚えがない。
目の前にあるきりっと冷たくなったマイ財布を見て、ハニワのような顔になってました。
…これが本当の資産凍結ね。
そんなときにはサラっと言葉も出てくるんですよね、でも今じゃねーだろ。
まあそんな感じで、とにかく物忘れが激しくなりました。
私は、外で風を体にうけて移り変わる風景を眺め、人と話し、新聞や本を読んでテレビを楽しみ、ラジオや音楽を聴くことが、どれだけ脳みそに刺激となるかを思い知ったわけです。
*私が実践した頭に刺激を送る方法3つ!
こりゃあいかん、まだ30代なのに、筋力と知力ともに90代(の物忘れが激しい方)だわ! と思って、流石に焦りました。
家族も笑えなくて心配してましたよね。
若年性痴ほう症か? とも思いましたし。
筋力は毎日5000歩を歩くようにと自分に課し、調子が悪くてできないときもありましたけれど、何とかマシになりつつはあったんです。
頭の方も焼き鳥屋のアルバイトに行き始めると、大将やママといった家族でない人と話すことが増え、それも刺激になってマシにはなってきました。
だけどそれじゃあ、足りない!
というわけで、私は以下のことを実践しました。
お陰さまで、現在ではほぼ「アレコレソレ」や、突拍子もない行動をしてそれを忘れあとで驚く、といったことはなくなりました。
1、日記を書く
日記を書くようにしました。
元々学生時代は親友の1人とずーっと交換日記をしており、大人になってからも郵送で日記を送り合うということをしていた私、日記は得意です!(小説も書いてたし!)
日記を書くためには、今日あったことを反芻したり、食事内容や会話内容を思い出そうとしますよね。
それが脳には良いそうです。
長い文章を書くのは私は好きですが、嫌い、苦手という方もいるでしょう。
そんなときは一言日記でもいいです。
「今日は月曜日。燃えるゴミの日」とか、そんなんでいいですので書いてみてください。
特にパニック障がいの方は、日々襲ってくるすさまじい恐怖に疲れ切り、今まではできたことが何もできなくなったことで自尊心がボロボロになっていますよね。
「嬉しい」などの気持ちをあまり感じなくなります。
ですから日記では、今日あった嬉しいこと3つを書くようにしてみましょう。
信号が2回連続青だった、朝食が残さずに食べれた、子どもが自分に笑ってくれた、1日1回窓を開けた、そんな小さなことでいいです。
3つ、必ず嬉しいことを探して書いてみてください。
その内に自我がケアされ、少しずつ自分に自信が出てくるようになります。
ちなみに、日記はパソコンやスマホではなく、オーソドックスに手で鉛筆やボールペンを持って書くのがおすすめですよ。
その方が手を使うので、脳への刺激は多くなります。
↑↑これはおすすめの日記帳。
本当にスキマで書くことを考え、ちょっとしたスペースで区切ってくれています。
一言だけ書きたい方に便利ですよ。
2、手をよく動かす
日記を手で書いてみて、と前述しましたが、利き手でない方で文字を書く、というのも頭に刺激を送れます。
他にはたとえば、指の運動ですね。
右手の人差し指と左手の人差し指を触れ合わないようにしてクルクルと回してます。
このとき、他の指は組み合わせて手が動かないようにしましょう。
ギリギリまで近くで回しますが、人差し指同士が触れ合ったらダメ、というルールを課します。
わかります?
両手を最初に組み合わせ、人差し指だけを曲げて離します。
そのまま右回りにぐるぐる、次は反対回りにぐるぐる…とやってくださいね。
手持無沙汰なとき、ちょっとぼーっとしたいときなどに、この指体操をしてみてください。
また、朝起きたときには寝たままの状態で両腕を上へぐーっと伸ばし、大きく手を動かして「グー」「パー」「グー」「パー」と開閉します。
これも末梢神経が刺激され、血流改善の効果もあって良いそうです。
3、掃除をする
掃除も、心身に良い影響があると有名ですよね。
掃除をすることで物理的に奇麗になるので気持ちがすっきりとし、体を動かして黙々とやることで普段雑念にまみれている脳みそがリフレッシュできます。
掃除は指をよく動かします。
目の前のものを奇麗にしようと没頭もします。
それら全てが脳にとって良い影響がありますし、部屋も綺麗になって一石二鳥ですよね。
ぜひやってみてください。
私は寝たきりの間ほぼ出来てなかった掃除を、一生懸命やりました。
一番しんどいときには、掃除機の音も刺激だったんですよ。
うるさくて体が痛みを感じるような気がして、恐怖から「掃除機を止めて!」と泣いていました。
でもマシになったので、まずは「音が出ない箒で埃をはく」から開始して「雑巾で拭く」ができるようになり、最後は掃除機も使えるまでに戻りました。
家中の窓を3日間かかって全部拭き終わったとき、嬉しくて、ほっとして、すっきりとしたいい気分で、また泣いたのを覚えています。
うつ病の人は掃除がなかなかできません。
なので私は自分が凹んでいると感じたとき、敢えて掃除をして「あ、まだ大丈夫だ」って思っています。
*じいっと耐えてゆっくりと動き出そう
鬱病もパニック障がいも、本当にひどいときにはまったく動けなくなります。
「頑張って」と言われればこれ以上どう頑張ればいいのかと絶望を感じますし、「明けない夜はない! 」とか励まされれば「今のこの暗闇が耐えられないっつってんの! 」と思います。
これは、経験者にしかわかりません。
そして誰にも経験者にはなって欲しくありません。
あんな恐怖や絶望は、知らなくていいのです。
だけどもうなってしまっている方は、一度頭を空っぽにしてみましょう。
横たわり、この長くて暗いトンネルもいつかは終わりがくると唱えながら、じいっと耐えましょう。
今が底なら、いつか浮き上がる日がまた来ます。
それまでは、じいっと耐えるのです。
寝たままでいいから。
何も見なくていいから。
そして少し気分がいいときに、日記を書く、手の体操をする、掃除をする、です。
ぜひ覚えておいてくださいね。
引きこもった結果、私は脳が退化したのか物忘れが激しくなりました。
それを何とか改善するために、してきたことを紹介しました。
これが誰かの参考になればいいな、と思います。
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