Sekime blog~パニック障がいのWebライター、アレコレ語る~

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パニック障がいだと判明するまで私が病院巡りをした話。

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パニック障がいになったと気づいたのは、皆さんはどんな経緯でしょうか?

私は過労で倒れたことが原因です。

体の発する悲鳴を無視し続けた結果、ついにパニック障がいとうつ病になってしまいました。

今回は、私が現在のように自宅にて長期の療養となった過程を紹介しますね。

*過労が原因で免疫力がどん底に

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これは何度か書いていますので、今までの記事を読んでくださった方ならご存じだと思います。

私がパニック障がいを発症した、そもそもの原因は過労です。

発症のきっかけとなったのは職場の人間関係と言えますが、もとは過労で体力がほぼ限界にあったことですね。

 

2011年、まだ東日本大震災の影響も色濃い日本でしたが、私が住む関西では普通に日常生活が営まれていました。

朝5時くらいには起きてパソコンを立ち上げ、まず小説を書いて更新します。

そして化粧など自分の身支度をしたのち、家族の朝食や夫と自分の分のお弁当を作り、家族を起こし、全員で朝食。

7時には全員で家を出て、私は2人の子どもを保育園に送っていき、電車で45分ほどの場所にある職場へ向かいます。

夕方5時まで仕事をし、電車の中でも走る勢いで保育園にお迎えに。

2人の子どもと自分の鞄を合計5つほど持ち、自転車に子どもらを積んで帰宅。

洗濯ものを片付け、食事を作り、お風呂をわかして子どもらと一緒に入り、気が付けばもう夜の9時。

子どもらを寝かせ、また趣味の小説書きをしてから午後11時すぎに寝る、という毎日でした。

 

ちなみに夫は当時夜はかなり遅いときが多く、育児も家事もワンオペでしたね。

まあ多くの日本人女性がしている生活です。

ただその頃は30歳を過ぎたときでした。

私の体はどんどん変化していたのですが、今まで通り、10代や20代のときと同じように無理が効くと思っていたのですね。

それまで、本当に健康な若者でしたから。

だけど実際には加齢もあって、無理が効かなくなっていたのです。

私はそれに気が付かず、元気だと思い込んで毎日を驀進していました。

 

その頃、心はまだ元気でしたが、免疫力はどん底になっていたようです。

2日ほどで下がりはしますが、毎月40度近くの高熱を出す。

右耳が聞こえにくく、毎日耳鳴りやめまいが頻発する。

発熱と同じく毎月膀胱炎にもかかり、抗生物質を飲み続ける。

しかも膀胱炎のときには出血までするうえ、何度かはそのまま腎盂腎炎にもなる。

そんな状態でしたね。

 

泌尿器科の担当医に言われてはいたんです。

女性は30代に入ると体が変わってきて疲れやすくなり、膀胱炎も増えると。

だから水をたくさん飲んでちゃんと寝るように、てね。

ちなみに担当医にはそのとき、私が膀胱炎になる原因が、お風呂だろうともいわれました。

免疫力が低下しすぎていて、仕舞い風呂で大腸菌に感染するんですね。お風呂って汚いんだな…。

だけどやることがたくさんあり、母親はどうしても最後のお風呂となります。

しかもお風呂が大好きな女である私。

1日の最後に湯舟につかれないなんて、嫌だ~! と思っていましたから、お風呂でなくシャワーにしなさいという医者のアドバイスもなかなか聞けませんでした。

でも毎回出血するのよ。膀胱炎で。

これがマジで、地獄のように痛い。

 

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排尿するたびに真っ赤な血を絞り出す感じです。

なんなら出産より痛いよ、と思ってましたね。

それが毎月でした。

仕方なく3カ月くらいでやっと諦めて、シャワーの生活にしました。

そうしたら、確かに膀胱炎にかかる回数は減ったんです。

医者の言うことは聞くもんだな。反省反省…。

 

*多種多様な医者にかかった

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そんなわけで、体はしっかり壊れつつあったのですね。

まだ大丈夫、という根拠のない自信があっただけで。

しかし、出血性膀胱炎だって頭痛だって腹痛だって吐き気だって耳鳴りやめまいだって、毎日続けばさすがにこりゃおかしいと思いますよね。

その結果、サービス業だからこそあった平日のお休みには、さまざまな病院にかかるわけです。

 

30歳になるまでの私は健康そのもの、持っている保険証は内科と産婦人科(2回の出産)、眼科(私はめがねーズ)くらいでした。

それが、30歳を過ぎてからさまざまな不調に襲われたため、耳鼻咽喉科(耳鳴りとめまい)、泌尿器科(膀胱炎)、歯科(食いしばりで口内がボロボロ)、整形外科(腰痛)も増え、お財布は診察券でパンパンよ!

 

中には、ちゃんと理由がある痛みもあったんです。

たとえば歯痛だと思って歯医者にいったら「これは副鼻腔炎」ですねと言われ、耳鼻咽喉科へ移動とかね。

風邪ひいたなーと思っていたら、それが悪化して副鼻腔炎と肺炎になりかけていたりとかね。

さらに腰痛と高熱と膀胱炎が同時に起こり、死にそうだけどとにかく痛みから処理! と思って泌尿器科に駆け込んだら、腎盂炎になってるのがすべての原因だと分かったりね。

そのときの腰痛と高熱と膀胱炎は、泌尿器科で点滴を打って熱を下げ、抗生物質を1週間出してもらうことで全部治りました。

点滴最強。やっほーい!

 

体力がゼロに近く、免疫力が下がったことで散々な目にあいました。ほんと。

また、私は生まれつき痛みに鈍いタイプの人間だそうです。

そのため自覚症状に負けて病院へ行くころには、かなり病気が悪化しているということも多かったのですね。

このころお世話になっていた全部のクリニック、かかった全ての医者に、「体力がなくなっているからでしょう。とにかく休みなさい。帰ったらすぐに寝ること」と言われました。

 

耳鼻咽喉科では副鼻腔炎の治療はしてもらいましたが、めまいと耳鳴りについては検査をしても問題なしと出るんですよね。

私はかなりめまいと耳鳴りに困っていたのですが。

そしていろいろかかったクリニックの内「診ても調べても、あなたの体はどこも悪くない」といったのは内科と産婦人科です。

なのに相変わらず眩暈や耳鳴り、たまに腹痛、全身のだるさや無気力さがあるんです。

どこも悪くない? こんなにつらいのに、そんなはずないでしょ! って腹が立ちました。

本当にあなたたち医者なの? とかも思いました。すみません。

そして最終的に、内科の我が家のホームドクターさんが散々悩んだ末に、言ったんです。

「自律神経の失調だと思います。これは…精神科か心療内科の分野だと思うよ」って。すげーな、流石ホームドクター!!

 

*やっと登場心療内科

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こんな綺麗なカウンセリング室ではありませんでしたが。

私もパニック障がいにかかるまで知らなかったのですが、精神科と心療内科は似てはいますが、少し違うのですね。

  • 精神科・・・心の症状を扱うところ
  • 心療内科・・・精神的・社会的原因があって不調がある体を扱うところ

 つまり、精神科はそのまま「ココロの病院」です。

心療内科は、周囲の環境や状況などに原因があり、それが影響して本人に自覚がないままで体の不調が続く人がいく、「内科」です。

急激に落ち込んだり死にたくなったりイライラしたりという方は、精神科にいきましょう。

会社にいこうとすると下痢になったり、胃痛や頭痛などが薬を飲んでも改善しなかったり、めまいや耳鳴りが酷いけれど耳鼻咽喉科では原因がわからなかったりした人は、心療内科にいってください。

 

私は前述したすべての病院を3ヶ月ほどの間うろうろし、最後に内科医からすすめられたので心療内科にいきました。

カウンセラーさんと現況や体の不調、その他日常で困っていることなどを話し、いよいよドクターとの面会となったのですね。

確か、同時にうつ病のテストはしたと思います。

でも当時それは大丈夫でした。

医師に診察室で告げられたのは、「いわゆるパニック障がいというものでしょう」でした。

 

私はそのときまで、パニック障がいという病気(障がい)を知りませんでした。

だけど世の中には私と同じようなことで悩んでいる、苦しんでいる人がいるんだと知り、ホッとしたのを覚えています。

どの病院にいっても「問題ない」と言われることが続いていましたので、自分が嘘をついてるような気分になっていたんですよ。

確かにつらいし苦しいのに、どうしてどこも悪くないのか? って。

体力が下がって免疫力が低くなれば、みんなこんな状態になるの?

眩暈で立っていられないのに、耳鳴りはこんなにうるさいのに、本当にどこも悪くないの?

って思っていました。

 

だから、病名があるんだ、ということにすごくホッとしたのですね。

嘘つきじゃないって言ってもらえた気分でした。

 

そして、そのころには既に広場恐怖が出ており、私は電車に乗って職場へ行けなくなっていました。

折よく職場との契約を続けるかで悩んでいるときだったので、契約満了で退社を決めたのです。

※広場恐怖についてはこちらをどうぞ

 ちなみに、診断名はこれでした。「身体表現性自律神経機能不全」

…まあつまり、自律神経失調症やんね。

 

*診断が出てやったこと

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無事に診断をもらってから私がやったことは、次の3つです。

・周囲の人に自分の状態を話す

・パニック障がいやその体験談などの情報を集める

・家計の大幅な見直しで夫の一馬力でもOKな家計にした

 

やったこと①周囲の人に自分の状態を話す

私はまず、周囲の人間、特に心配と迷惑をかけてきた人々に話すことから始めました。

実家の両親、姉夫婦、義理の実家の両親と夫の兄弟姉妹。

職場の上司、保育園の園長さんと担任の先生。

できるだけ自分の言葉で説明したかったので、どんなことが体に起こっていて、医者にはこんなことを言われた、という話をしたのですね。

 

私は幸運なことに、一切の偏見にあわずに済みました。

 

母は元々福祉の関係だったので知識がありましたし、父は職場でパワハラによる鬱にかかったことがある人だったので理解が早かったです。

他の方は私と同じくパニック障がいなるものを知りませんでしたが、それぞれに検索したり経験者に話を聞いたりして理解を深めることに務めてくれたのです。

感謝、感謝です。

可哀想だったのは子どもたち。

あるときからいきなりお母さんが変になり、部屋の隅で怯え、泣きわめき、仕事にいかずに寝たきりになったので、彼らには影響が大きかったですね。

上下の子どもの両方ともが私から離れたがらない、チックのような症状が出る、おねしょを連発するなど、子供が不安に感じれば起こることを我が子もしていました。

まだ保育園児で親の手が必要な頃だったこともあり、あの頃に保育園の先生方や両親の手助けがなければどうなっていたかと思います。

 

やったこと②パニック障がいやその体験談などの情報を集める

私はそのとき、体力がないあまりに寝たきりにはなっていましたが、スマホで情報収集はしていました。

ずっとね。

パニック障がいについて、経験者のブログ、完治した人のアドバイスや気持ちの持ち方などですね。

診断が出てホッとはしましたが、じゃあ結局私はどうなってしまったのか、これからどうすればいいのか、どんなことが待ち受けているのかがわからなかったからです。

知識は、不安を解消する手段であると思います。

現在の自分を理解するために、寝たままでいろいろな記事や個人ブログを読み漁りました。

 

やったこと③家計の大幅な見直しで夫の一馬力でもOKな家計にした

それと、家計管理です。

我が家は共働きでずーっといくつもりで一戸建てを買っていましたし、自宅購入の当初はいなかった子供も2人生まれていた後でした。

それがいきなり夫1人の一馬力となるわけで、家計は大火事だったんです。 

銀行に行ってローンの借り換えをし、スマホはキャリアをやめて格安に移行し、夫の保険の見直しをして固定費を下げました。

それを、薬を飲みつつふらふらになりながら一気に行ったんですよ。

いやあ、デンジャラスな日々だった…。

だけど、いい機会だったと思います。

お陰であの年以来、我が家の家計は安定して黒字を保っています。

 

*病院巡りは大変だったけど自分の状態につれて確認できたので満足

ビーチの無料写真

多くの人が、いろんな病院を回って体に悪いところはないとわかってから、精神科や心療内科にいくようです。

もしも原因がわからないのにずっと不調が続いているという方は、心療内科も対象にいれてくださいね。

カウンセリングを受けるだけでも、自分のことが整理できていいと思いますよ。

 

私はパニック障がいであることに慣れました。

まあようやくですが。

心の底から受け入れたわけではないかもしれませんが、もう夢の中でも私はパニック障がい患者。

夢の中で1人で電車などに乗っていたら、考えるんですよ。

「あれ? うち1人で乗ってるけど、大丈夫?」とかね (;・∀・)

広場恐怖症の影響で単独外出ができなくなっていたので、夢の中でも家族の付き添いがなかいと気づいたときに「やばい」って思ってました。

今では夢の中でもパニック障がい持ちだという自覚があるってのが、個人的にはちょっと衝撃です。

慣れたんだなあ~と思います。

回復は一進一退ですが、気長に付き合っていこうと考えています。

 

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2023年5月現在、なんと11年服用した抗うつ薬から卒薬できました!!

この記事を書いてから3年後には、本当に目覚ましい改善ができたよ、私~!!( *´艸`)

これからは、今の「回復しつつある状態」をゆっくり進めていきたいと思います。

▼卒薬が決まったときの話

 

*こちらの記事もどうぞ

▼PR 枕、大事。