はい、我が愛猫のチャコ、スコティッシュフォールドの立ち耳16歳メスです。
可愛い。
本当に目に入れても痛くないほどですが、彼女はもうすでにスコティッシュ・フォールドの平均寿命を過ぎています。
最近は筋力がなくなってきて、机の上に置いてある水のボールまで来ることもしんどそう…。
だけど下へ置いても本猫が机の上まで頑張って上がってきてボールを探すので、上にも下にも水飲みボールを置くことにしました。
来れるうちは、上で飲んでねと思います。
ずーっと寝ていますし、爪も固く変形し、血尿も出すようになりました。
たまにヨタタ…とよろけるときは、私の心臓が冷えます。
さて、先に私の猫遍歴を。
私が最初に猫を飼ったのは、小学5年生のとき。
子猫たちが段ボールにいれられて捨てられてるのを下校中に友達と発見し、いろんな家をまわって飼ってくれないかと頼み込んだことがあったんですね。
我が家も1匹引き取りました(父は大反対でしたが、号泣して脅し、何とか許可をとりました。今思えばなんて娘だ…)。
カレールーの色だったので、「ルウ」と名付けて。
とても嬉しかったですし、少々育てにくい子だっただろう私の気持ちを和らげるのに一役も二役もかってくれましたね。
彼・ルウは22歳の長寿をまっとうし、7年前に実家で亡くなりました。
人間にしたら100歳超えてますよね。
すごい猫でした。
実家ではルウがきてから、元々猫好きだった母が知り合いの獣医に脅されて預かってきた猫・クーも参加。
この子も5年ほど前に実家で18歳で亡くなっています。
そして私が個人で飼った猫はもう一匹、初代スコティッシュ・フォールドのミミがいました。
彼女は寝耳のスコッティで、劣悪なペットショップで売られていたところを何とか助けたくて、バイト代をかき集めて連れて帰った猫です。
耳ダニが大量にあり、体も弱くすぐに癇癪を起す性格の猫で、ほとほと手を焼いていました。
しかしダメな子ほどかわいいというアレで、私は学生でしたがバイトを掛け持ちし、お金全部を動物病院につぎ込んで世話をしてたんですね。
だけど心臓も弱かったようで、生後6か月で受けさせた避妊手術の全身麻酔で心臓が止まってしまい、帰らぬ猫に…。
母があの朝、私の部屋をすごく困った顔でノックしたことをまだ覚えています。
ミミがいたのは劣悪なペットショップだったので、ブリーダーもひどい人間だったのでしょう。
引き取ったときには全身病気のデパートのような状態で、本当に幸薄い子でした。
最後に動物病院のオリの中からこっちをみて体をぶつけ「一緒に連れて帰って」みたいな顔をしてたんですよね。
私は「明日には迎えにくるよー。手術頑張ってね」と言ってました。
だけどもう会えず…。
その動物病院のお医者さんはすごく気にされて、そのあとすぐに病院をしめてしまって、それはそれでいたたまれない気持ちになったものです。
先生が悪いんじゃないのにね、と。
というわけで、私は猫と3回別れの経験があります。
一番ショックだったのは勿論ミミ。
最初の猫、ルウは「よく頑張ったねえ!」と健闘をたたえたいくらい長生きしてくれたので、あまり悲しみはなかったですね。
クーも天晴れな最期でしたし。
ところが、今買っている猫・チャコとの別れは大変つらいものになるだろうなと思っています。
ミミのときには、半年後くらいに私が結婚して家を出たこともあって、忙しさや夫のサポートがあったので立ち直れました。
だけどチャコは結婚してから迎えた子で、子供の誕生や育児ノイローゼのとき、私が病気になって希死念慮に苦しんでいたときもずっと寄り添っていてくれた猫です。
いなくなれば、太陽が消えるくらいのショックがあるでしょう。
あらかじめ、気持ちの準備をしておきたい。
そう思って、最近は猫を撫でながらいろんなことを覚えておこうとしています。
毛並みや舐められた舌の温かさ、瞳のガラスがとても奇麗なこと、唸るときの低温や、嬉しいときのしぐさなど。
そして失ったときを考え、ちょっとずつ心を強くしていきたいのです。
今まではペットロスがあまりありませんでした。
それはとてもラッキーなことでしたが、今度はあるでしょう。
パニック障がいのぶり返しがあったりうつ病が再発したりし、私の希死念慮も復活するかもしれません。
家族はそれを非常に恐れていて、夫や実母は次もまた猫を迎え入れたらどうだろう、と話します。
だけど私の実家にはルウやクーが亡くなったあと、外国にいくので育てられなくなったという母の友達の家から来たチンチラがいるのです。
猫2匹を立て続けに失ってしょげかえっていた両親はそれで一気に元気になりましたが、平均寿命も長めのチンチラ(名前はまゆです)が亡くなる前にうちの両親が亡くなりそう…。
ということは、まゆの最後の面倒は私がみることになるでしょう。
まゆのためには新しい猫はもう迎え入れない方がいいんじゃないかな、と思っているのですね。
彼女はすごく人見知りで大人しく、前の家で多頭飼いをされていたときには部屋からまったく出なかったらしい怖がりさんなので。
まゆのためにも、次は猫を飼わない。
だから、一日でも長くチャコといたいのです。
あと5年は頑張るんやぞ、と言い聞かせていますが、そのたびにあの奇麗な目でじっとこっちを見て「何をバカなことを」とたしなめられている気がします。
彼女を亡くしたあとの自分がしんどいから長生きしてねと願うのは、自己中ですよね。
だけど本当に自信がない。
私の精神は、チャコが消えるという事実に耐えられるだろうか。
少しでも先に想像して覚悟をしておくほうがいいのか、そんなことは考えずに存分に甘えさせてもらい、甘えてもらう方がいいのか。
もう考えすぎてわかりません。
年をとって甘えん坊になったチャコは、今日も私の上で寝ます。
その重みを覚えておきたいなあ~と思い、じいっと彼女を見つめて、今も途方に暮れている最中です。