7、洗濯物を干すということ
私は毎日、ある程度の家事をします。
「ある程度」というのは、我が家は家族全員で家事を分担しているから。
夫の仕事や子供らの学校で家にいない時間、必要な家事は私がやりますが、そのほかのことは子供が3歳をすぎて以来、全員参加でやっています。
家中の掃除、食事の準備、ゴミ捨てなどは毎年担当者をきめてローテンションです。
家事とは生きるためにすべき最低限の労働。
基本は自分のことは自分ですべしですが、いつ親が亡くなって子供が一人で生きていかなきゃならなくなっても大丈夫なように、全部させているのですね。
あとはまあ単に、自分が楽をしたいから、なのですが。
ところがですね、洗濯物を干すのだけは、必ず私が一人でやります。
別に洗濯物を干すことが、特に好きなわけではありません。
どちらかといえば面倒くさいと思っています。
雨の日は作業そのものがうっとうしいですし、干したら当然取り込まなければならず、それも面倒に感じます。
だけど私がやる。
それは、干し終わった洗濯物が並ぶ光景を、見たいからです。
私の母親は大阪府の職員で、相談員という仕事をしていました。
酒乱、引きこもり、不登校、精神疾患者とその家族、DVなどさまざまな家庭問題の相談を受け、しかるべきところに連絡したり支援の手続をしたり手伝ったりして、問題を改善するのが仕事でした。
当然守秘義務があるので家で仕事の話はしません。
たま~に今日あったこと、といった感じで曖昧にぽろぽろとこぼすことがあったので、私は漠然と、大変な仕事をしているのだなあと思っていた程度です。
家にいるときの母はいつも疲れ切っていて、寝ころんで新聞を読んでばかりでした。
平日は家にいたためしのない父が日曜日に掃除をしていましたし、洗濯物を取り込んで仕舞ったり生協が運んできてくれる食材を片付けたり、簡単な料理を作ったりするのは姉と私がしていました。
それでも母は、洗濯物を干すことだけは必ず自分でしてたんですよね。
毎晩8時や9時に帰宅して、ぐったり疲れていても、夜の間に洗濯機を回して自分で干す。
どうしてだろうと思っていたんです。
洗濯物を干すのが好きやの?
一度そう聞きました。
すると母は笑って、好きなわけないやんか、やらなあかんからしてるだけよと言ったんですね。
でもそのとき少しだけ考える顔をして、こうも言いました。
洗濯物がずらっと並んで、お日様浴びて風に揺れてるのって、正常な家庭やなあとは思うわね。
正常って、ほんま難しいんよ。
努力だけでどうこうできるものでもないしね。
母が相談にのるのは、機能不全に陥った家ばかり。
問題があって家庭は崩壊しかけていて、怒りっぽく、家はぐちゃぐちゃで、たくさん傷ついた人たちばかりなわけです。
悲惨な話を聞きすぎていた母は、少々のことでは動じない人でした。
自分の家庭のことで何を見聞きしても、まだまだ全然大丈夫やわと思えたと。
子供が二人いて今でいうワンオペ育児、責任ある仕事、悩みは多かったはずです。
だけど時間がないからと夜に干した洗濯物が、朝起きたときに光の中を舞っているのを布団から眺めたとき、うちは幸せなんだと思えたのだそうです。
母はたぶん、干された洗濯物をみるときに、安心を感じていたのでしょう。
その話を聞いたのは一度だけ。
それなのに強烈に私の中に残り、洗濯物を干すという行為が特別なものへ昇華しました。
普段は何も考えず、洗濯機終了の音がしたら取りに行って、黙々と干します。
自分だけのルールで、自分の好きなやり方で。
干し終わったあとの達成感は、他の家事でも味わえます。
だけど私は洗濯物を干したあとだけ、ふんわりとした「何かいいもの」に包まれた気がするのです。
風に乗ってはためく家族の衣服。
やるべき家事ができたこと。
自分はまだ大丈夫なのだという安心感。
伸ばされた服の皺。
石鹸の香り。
手や額や頬に感じる日光の感触。
一度ひどいうつ病をして自分と人生の深淵をみた私は、優しくて、当たり前のことを欲していました。
だからほとんど寝たきりだったのに、タオルなど軽くて小さなものを干す、それだけは自分で続けていました。
少しだけでも家事が、形になる何かが出来ている、そう思えて嬉しかったのです。
干したものが風に揺れるのを横になって眺めていると、まだ自分は消えなくていい、まだ大丈夫だと思えました。
洗濯物を干す、毎日繰り返されるその日常風景で、小さな幸福を感じています。
だから少しずつ、あの暗闇から立ち上がってこられたようにも思うのです。
というわけで、どんなに面倒くさく感じても洗濯乾燥機は買いません。
洗濯物を干す権利だけは、誰にも譲らないぞと心に決めています。