観心寺は大阪府河内長野市の、歴史ある寺院。
高野山真言宗の遺跡本山であり、日本遺産「中世に出逢えるまち~千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫~」の構成文化財でもあります。
建物や季節の花など有名なのはさまざまあるのですが、中でも目を引くのが北斗七星を祀った星塚の存在。
2021年の夏の終わりに車で訪れ、国宝や星塚、楠木正成の首塚などを見学してきました。
ここでは観心寺の歴史や現在の姿、パワースポットなどを紹介していきます。
※写真はすべて著者撮影
- *観心寺は楠木正成ゆかりの寺
- *観心寺が持つ国宝建築「金堂」は仏堂の代表例
- *中世のスター楠木正成と観心寺
- *星塚めぐりとは? 一周すれば一年の厄除けに
- *観心寺のパワースポットは首塚のあたり
- *その他写真で撮ったところ
- *観心寺詳細
*観心寺は楠木正成ゆかりの寺
観心寺は大阪の南東、奈良にごく近いところに建つ、歴史ある寺院です。
中世の人気者である楠木正成(くすのきまさしげ)にかかわるお寺でもありますね。
まずは歴史を簡単に。
・701年(飛鳥時代・大宝元年) 修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれる。当時の名前は「雲心寺(うんしんじ)」
・808年(平安時代・大同3年) 真言宗を開いた弘法大師空海が北斗七星の力を境内に求める
・815年(平安時代・弘仁6年) 空海は国家の安泰・人々の厄除けのために如意輪観音菩薩を自ら刻んで本尊とする
・827年(平安時代・天長4年) 空海一番弟子の実恵(じちえ)とその弟子の真紹(しんじょう)が造営工事開始
・1333年(南北朝時代) 楠木正成、後醍醐天皇からの命で金堂を造営
・1336年(南北朝時代・延元元年)楠木正成は兵庫湊川で戦死。その首は足利尊氏の命で観心寺へ届けられ、首塚で祀られる
・1594年(戦国時代・文禄3年) 織田信長によって寺領を没収されていたが豊臣秀吉によって戻され、寄進を受けて金堂や諸堂を修復する
・2005年(平成17年) 高野山真言宗総本山金剛峯寺より遺跡本山の寺格が贈与
・2019年(令和元年)日本遺産に指定
参考:観心寺パンフレット
弘法大師空海は、高野山を開くために拠点として観心寺を整備したと伝えられています。
如意輪観音菩薩の周囲を一巡するように配置した星塚は、現在もパワースポットとしてとても有名です。
ちなみに如意輪観音菩薩は空海自らが刻んだとされますよ。
星塚はあとで写真と共に紹介しますね。
下の写真が、観心寺のパンフレットにのっている境内案内図です。
*観心寺が持つ国宝建築「金堂」は仏堂の代表例
観心寺にある国宝建築と重要文化財を紹介しますね。
・金堂
・建掛塔
国宝「金堂」
南北朝時代に建立されたもので、大阪にある本堂では最古の国宝建築物です。
1346~1370年の間に立てられました。
和と大仏、禅宗の建築要素が合わさった仏堂の代表例として知られています。
和様・・・古くから寺院建築で用いられた地震に強い建築様式
大仏様・・・鎌倉時代初期に東大寺の再建で採用された大型建築に対応できる建築様式
禅宗様・・・鎌倉時代初期に禅宗と共に日本に伝わった中国式建築様式
上記3つの様式のいいとこ取りをしているお堂ですね。
本尊が如意輪観音で、脇侍に不動明王、愛染明王です。
今年は家族に厄年と受験生がいるので、大香炉でお願いをしておきました。
太いお線香には願いごとが書かれていて、火をつけたら灰の上に寝かせます。
重要文化財「建掛塔」
楠木正成が三重塔を建てようとしていましたが、建築途中で戦死。
そのため一重目を作り終えたところで工事がストップしてしまった建物です。
その後仏堂に改築され、一度焼失しましたが、同じような形式で再建されています。
*中世のスター楠木正成と観心寺
水戸黄門で有名な徳川光圀公や吉田松陰、坂本龍馬、伊藤博文などがファンであると公言している南北朝時代のスター武将、楠木正成です。
観心寺は楠木正成にゆかりがある寺院。
出自は諸説あるようですね。
太平記には大阪河内の土豪出身とされています。
御家人だったとか非御家人だったとかさまざまな話がありますが、日本史に本格的に登場したのは後醍醐天皇による鎌倉幕府倒幕のとき。
楠木正成は腐敗した鎌倉幕府を倒すために貢献し、壮絶な生涯を送りました。
日本の歴史上大変有名な知将で、和気清麻呂と共に2大英雄として皇居に銅像が立っていますよ。
1880年には神階の最高位である「正一位」が贈られました。
楠木正成は、子供時代に観心寺で修行していました。
文武両道に秀でた青年で、聡明であったと伝わっています。
鎌倉幕府の倒幕に成功したあと、後醍醐天皇の命令で観心寺を整備。
縁深いということで、戦況から負けを悟り弟と刺し違えて自害した楠木正成の首を、敵である足利尊氏は観心寺へ届けさせています。
楠木正成は朝敵であった足利尊氏の人望や徳を高く評価しており、天皇には和解を進言したこともあるそう。
足利尊氏も彼を認めていたので首を観心寺へ届け、祀るようにしたのでしょう。
*星塚めぐりとは? 一周すれば一年の厄除けに
空海は中国にて密教を学んできました。
当時流行り病などで荒んでいた民を救うため、観心寺に密教図像の『七星如意輪曼荼羅』を作ったのです。
七星如意輪曼荼羅の構造は、如意輪観音を中心に不動明王、愛染明王、八観音、四天王が祀られ、周囲に北斗七星を配置、南には訶梨帝母を祀っています。
空海はこれを、観心寺の境内に忠実に立体化しました。
金堂に如意輪観音と左右に不動明王、愛染明王。
そして金堂の周囲を取り囲むように北斗七星を配していて、訶梨帝母を南に祀っていますね。
星巡りは金堂の手前、少し下ったところからスタートです。
貪狼星(子)→巨門星(丑亥)→禄存星(寅亥)→文曲星(卯酉)→廉貞星(辰申)→武曲星(巳未)→破軍星(午)と巡り、鎮守の訶梨帝母天堂で完結します。
この星塚を一巡すると、その年の厄が払われるといわれていますよ。
では、順番にたどっていきましょう。
1、貪狼星(子)
2、巨門星(丑亥)
3、禄存星(寅亥)
4,文曲星(卯酉)
5,廉貞星(辰申)
6,武曲星(巳未)
7,破軍星(午)
8,鎮守の訶梨帝母天堂
この8つ目を回れば、星塚巡りは完了です。
厄除けも済み、一年を健やかに過ごせるのですね。期待!
巡っている間に、自分の干支を発見してくださいね。
そして書いてある真言を唱えましょう。
私は酉年なので、こちらの真言です。
これから何か勝負事のとき、不安なときは心の中で唱えようと思います。
「オン イリダラタ ウン」舌を噛みそうですが、ここは頑張るところ!
*観心寺のパワースポットは首塚のあたり
神社仏閣といえば、パワースポットですよね。
もちろん歴史あるこちらの観心寺にも強力なパワースポットがあります。
星塚など複数あるのですが、代表的なパワースポットは楠木正成の首塚や開山堂(本願堂)がある、奥まったあたりですね。
行ってみると、緑や大木に囲まれており、しーんと静かなところでした。
空気にざわざわしたところがまったくない、たとえるなら元日のような空気がすっきりと爽やかな感じ。
真夏日だったにもかかわらず、そこだけは清涼とした雰囲気でした。
この写真は開山堂(本願堂)です。
そして、楠木正成公の首塚。
観心寺のパワースポットで心を穏やかにして元気を頂きたい方は、こちらがおすすめですよ。
*その他写真で撮ったところ
金堂の右隣に建っている弁天堂(弁財天・財運招来)のところにはお百度参りの標石。
御影堂(弘法大師・学業成就・先祖供養)と手前が修行大師の像。
修行大師と開山堂(本願堂)の間にある長い石段をのぼっていくと、後村上天皇桧尾陵があります。
その石段の途中にあった宮内庁の注意板。
後村上天皇桧尾陵までは結構な石段が続いていたので、途中で諦めました…。
時間ではなく、体力の問題です。
運動不足を反省。
境内には季節の花がたくさんでした。
風が吹くと花びらが舞い、奇麗な夏の朝にうっとり。
灯籠の中が電球だったのには、ちょっと笑ってしまいました。
苔むした灯籠に電球…。文明の利器ですね。
観心寺の秘仏、如意輪観音菩薩の御開帳は、毎年4月の17日と18日です。
このときしか見ることができないため、毎年多くの人で賑わうようですね。
ぜひ狙って訪問してみてくださいね。
*観心寺詳細
・住所:大阪府河内長野市寺元475
・アクセス:南海高野線・近鉄長野線「河内長野駅」から南海バス「観心寺」下車
・営業時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
・休業日:無休
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