8、移り気ベイベー
私はかなり、移り気な人間です。
恋愛にさほど興味がないからか恋心はあまり変動なしですが、そのほかのことはとにかく飽きっぽい。
もっと幼い頃は病気なんではないかと思ってました。
多動症みたいなのと一緒で、好奇心が多すぎるのではないかって。
あれもこれも手を出し、それなりまでいくと飽きてしまう。
だから何一つ大成しないという、実に中途半端な結果になるわけですよね。
一通りのことは何でもできるけれど、人様より秀でて自慢できるところまではいかない。
たまに凹むとそういうことを思い出してくらーくなりますね。
ああ……何してるんだ、私は、みたいな。
一つのことを真っ直ぐに追いかけ、壁だろうが山だろうがいつかは乗り越えて自分のものにする、そんな人に憧れます。
やりきった人だけが持つ、落ち着きや自信、誇り。
強さというか、真っ直ぐさ。
私は持っていない、そんなものに強く惹かれます。
この移り気な、自由でフラフラと漂う私の好奇心よ、それでいいのか! とかね、たまには思うことだってあります。
でももう、それが私なんだろうな、と24歳くらいで思いました。
こらえ性のない、軽い感じ。
これが私なんだろうな、じゃあ仕方ないか、そう思って以来、自由度が増しました。
この人生ではできるだけ多くの仕事を経験したいと思ったのも、その頃からでしょうか。
人に「フラフラしてるだけでしょ」って言われても、もうそれでいいやって。
だって、やってみたいのです。
いろんなことを。
ならしたらいいやって思って、病気になるまではいろいろな仕事に就きました。
接客業が多かったですが、居酒屋、喫茶店、百貨店の販売員、映画館スタッフ、ビラ配り、ポスティング、家庭教師、事務員、イラストや漫画の販売、マネキン(モデルの一種)、清掃業、バー、営業、販促などです。
さまざまな世界をちらっと見て、通り過ぎてきました。
当たり前といえば当たり前なのですが、自分の思った通りにするには人にもたくさん嫌われます。
だけどその人たちは私の人生に責任はありません。
責任を持たない人たちから嫌われることに怖気づき何もしなければ、結局私の心が痛むだけなんですよね。
そう考えてからは、人に嫌われることもさほど怖くなくなりました。
人によってさまざまな意見がありますが、所詮どれであっても他人事ですよね。
皆、自分とは関係ないとどっかで思ってるはず。
だから人の意見に頼ったり影響されたりするのはやめようと思ったんですね。
私の周囲がくれるいろいろな言葉も、一歩引いて聞こうと。
たとえば私が「アメリカを家族で一周してくるわ」そう言ったとしたら、それはもうたくさんの意見が私に向かって飛んでくるはずです。
大体は反対意見でしょう。
子どものことは?とか、帰国してから仕事があると思ってるの?とか、子どもを親の趣味に巻き込むな、とかね。
だけど、その結果が何であれ上手くいったとしますね。
すると散々反対していた人たちは「あいつはやると思ってたよ」に意見を変えるだろうと思います。
そして私が失敗すると「だから言ったじゃないか」になる。
それが一般的でしょう。
誰だって自分が間違っていたとは思いたくないので、「あいつはすごいことをしたな」という尊敬の念を抱いた瞬間に、自分は実際応援していたのだと言い出すのです。
だからどっちでもいいなって。
私はこれからも相変わらずフラフラとして、やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにしていくでしょう。
やりたいことに対しては、努力はしても我慢はしない。
私の人生に責任を取れるのは私だけなので、自分の心が喜ぶことを追求していこうと思います。
もちろんサポートしてくれる家族や友人、知人には、感謝を忘れないようにしなければなりませんね。
感謝と愛を伝える、そして、やりたいことをやる。
移り気ベイベー、最高だったな。
あー、面白い人生だった、そう思って最期を迎えたいものです。