この4月に、愛猫を喪いました。
2月あたりから急激に衰えはじめた我が家の愛猫「ちゃこ(茶子)」は19歳を超えたスコティッシュフォールド。
スコティッシュフォールドは種族的に短命な方です。
大体は関節炎で足を痛め、動けなくなって亡くなることが多いと言われ、寿命は10~13歳程度なんですね。
なのに、我が家のスコッティは19歳過ぎても元気。
1日4食も喜んで食べる、大きくて健康な猫でございました。
なーんて可愛いのでしょう!!!
年々スコ座りができなくなり、壁によじ登らなくなり、へそ天もできなくなって、爪が出しっぱなしになりといった老化はありましたが、2024年に入るまでは関節炎もなく、食欲も旺盛でした。
しかし2月ごろに一度風邪を引いて以来、みるみる衰えはじめました。
食欲が落ち、寝ている時間が大幅に増え、そのせいか歩行時にヨタヨタとよろめきだし……。
年が年なので注意はしてましたが、3月に入るとトイレの失敗も増え、おやつも食べなくなりました。
いつ亡くなるか戦々恐々としていたので、次々と訪れる子どもらの行事は焦りの一言。
19年も一緒に過ごした愛猫を喪ったあと、精神疾患が寛解していない私がどうなるか家族皆が恐れていたので、猫の様子をずっと観察していました。
だけど無事に、春の行事はすべて終了。
私が子どもらの行事に参加できたと喜んだ姿を見たあと、4月14日の夜19時半に、数分の呼吸困難を経て、愛猫は天にのぼりました。
19歳と半年、人間の年齢にすると94歳くらいですね。
一般的なスコティッシュフォールドの2倍ほどの長生きでした。
よく頑張って生きてくれたと思います。
心配していたのは、パニック障がいを持つ私の精神状態と、生まれたときから一緒に育った子どもたち2人の精神状態。
だけど結果的には、皆大丈夫でした。
それは、ちゃこがゆっくり衰えていってくれたからというのが大きいですね。
毎年できないことが増えていったので家中に段差を作ったり広いトイレに買い替えをしたり食事を柔らかいものに変えたりとやってきたこと、最後の数日はどんどんヨロヨロになっていったのでお別れの覚悟をする時間があったこと、呼吸困難で口呼吸になっていたときは「早く苦しみから解放されて」と思えたこと。
それら全部と、看取り時に私と子どもたちの3人が揃っていたことが、本当に大きかったです。
愛猫が息を引き取ったのが私が一人のときであったなら、多分、耐えきれなかったでしょうから。
遺体を引き取ってもらうまで、一晩あったこともよかったです。
体をきれいにし、撫でて、まだ温かい体に鼻を寄せ、たくさん話かけられましたので。
なんて孝行なペットなんだ!!
11歳のときからずっと猫と暮らしていた私は、今はまだ、猫がいない生活に慣れません。
起床時や帰宅時には真っ先に猫がどこにいるかと姿を探してしまうし、子どもらに猫の食事当番の話をしそうになります。
でも、潰れてません。
しんどくもありません。
人様のペットたちを見てつらくなったりしないし、羨ましいなどとも思いません。
立つ鳥跡を濁さず的な旅立ちをした愛猫を、あっぱれだったなあ!と心底思っています。
ちゃこが亡くなってから、家の中からすぐに気配が消えてしまって驚きました。
霊感はありませんが割と敏感な体質で、残滓のようなものは感じる方です。
実家の猫が亡くなったときは2週間くらいは気配があったのに、うちの子はまったく気配がない!と家族で話してもいました。
夢にも出てこなかったので、15日に最後のお別れをしてから、写真でしか愛猫の姿をみてなかったのです。
夢にも出てこないよ~と家族と話していましたが、よーく考えると私、今までに夢で愛猫を見たことがないような……?
ないよな? うん、ない。ちゃこに限らず、今までのペットも夢で見たことはない!!←衝撃
そういうものなんでしょうかね、夢って。
そう思って、ちょっと残念でした。
だけど1週間経った4月の23日、夢に、愛猫が現れたんです!
真っ白い空間で、こちらに向かって3歩ほど近づいた愛猫の姿が見えました。
私はこれは夢だとわかっていたので、おー!と声を上げました。
やあやあ、ちゃーちゃん、やっと出てきたねえ!と。
猫は数歩先で私を見上げ、まだ若い、元気なときの体つきできちんと座り、いつものスナフキンみたいな顔で私を見上げていました。
目はまん丸なのに、半眼に見えるんですよね。
ゴジラとか、スナフキン的な。
ムスっとして見えるけれど、これは機嫌がいいんだなとわかる顔をしていました。
私はしゃがんで目線を合わせ、えらく出てくるの遅かったやん、どこで何してたの?などと話しかけていました。
だけど手を伸ばして、撫でたり、抱きしめたりしなかったんですよね。
なんでかなあ……。
私の夢は、色も、感触も、味もあります。
結構珍しいそうですが、現実世界と同じくらいにいろいろできます。
撫でればよかったのになあ……。
起きたときも特に悲しさなどはなく、隣で寝ている夫に「ねえねえ、ちゃーちゃん出てきたよ」と話し、子どもたちとも「うちも見た」「まだ夢では見てない!」「何の順番やろ?」などと楽しく話しました。
本猫は、もうそろそろええやろ、様子見に行ったろか、そんなつもりだったのかもしれませんね。
喪失感は、まだまだこれから出てくるのかもしれません。
でも今は、介護を終えたあとに感じると言われる「ホッとした」という思いが続いています。
数カ月抱いていた、今日亡くなるかも、朝起きたら逝ってしまってるかも、という恐怖や不安から解放されました。
とても可愛くて、とても、格好良い猫でした。
バイバイ、ちゃーこ。
最後は苦しかったけど、よく頑張ったね。
長い間一緒にいてくれてありがとう。
あの世で家族を待たなくていいから、早く転生して、もっと幸せな生をいっぱい楽しむんやで。