Sekime blog~パニック障がいのWebライター、アレコレ語る~

パニック障がいもちのフリーWebライター&イラストレーター。おすすめの商品や仕事・趣味・訪問先などについて語ります。当ブログはアフィリエイト活動や商品の提供を受けてのPRを行っています。

パニック障がいを発症してから、優しい人間になったと思う。

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 物事には何であっても、良い面と悪い面があると言いますよね。

本当にそうだなと思います。

というか、何か悪いことが自分に起こったときにそれは「事実として覆せないので、もう受け入れてしまうしかないんだな」と今はわかります。

事実そのものには「悲惨」とか「幸福」とかいう概念はありません。

その出来事を「悲惨」にするか「幸福」にするか、その方向を決定づけるのは、いつでも感じる人間だってことですね。

知識としては知っていましたが、いろんな経験をして年を重ねていく内に「理解」でなく「納得」になるのだろうなと思います。

 

最近、ふと思いました。

パニック障がいになったことは、私にとって「良い出来事」だったのではないか、と。

 

私は間違いなく、パニック障がいを発症してから「優しい人間」になりました。

といっても、前から残虐性があったり差別意識が高かったりといったような酷い人間ではなかったはずです。

だけど自分ができることをできない人のことが理解できず、冷たい意見を持っていました。

その面が、自分が病気になることでとても改善されたと思います。

 

ちょっと振り返ってみましょう。

私は「感受性が強くて面倒くさいけど、出来は悪くなくやたらと体が丈夫な子供」から「非常に強気で好奇心があり、細いのにひたすら頑丈な女」に成長し、30歳までを生きてきました。

子供の頃、不安がりはしますし片頭痛持ちでしたが他は病院にかかったことがなく、風邪も滅多にひきませんでした。

運動神経は悪くなく、音楽をやっていて美術系が得意だったため、苦手な科目は特になし。

背が高くて瘦せ型だったので体形や体重に対する悩みが皆無でしたし、ほどほどの成績を維持できる子供だったのです。

人様に比べて特に秀でるものはありませんが、コンプレックスになるほど出来ないものもなかったというか。

そういう意味で、ラッキーな子供だったと思います。

両親も姉と区別・差別することなく育ててくれたので卑屈にならず、自尊心と好奇心が強い、おしゃべりで明るい女の子でした。

 

だからね、わからなかったし、わかろうとはしなかったんです。

人の立場や気持ちを。

ハッキリ言えば、とても傲慢でした。

 

しかし30歳のときにパニック障がいになってから、「できない」ことが山ほど増えました。

ごはんが食べられない。

人とまともに会話ができない。

列に並べず買い物ができない。

電車やバスに乗れない。

子どもの世話ができない。

テレビを見たりニュースを聞くこともできない。

とにかく何も、できない、できない、できない。

 

毎日原因不明の巨大で真っ黒な恐怖に包まれていて、何がどう怖いのか説明できないけれど、とにかく全部「怖くてできない」のです。

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学生時代、勉強しているのにテストで良い点がとれない子を見て、理解不能でした。

絵が描けない人を見て、目の前にあるものを紙にうつすだけのことがなぜできないのか不思議でした。

書かれている音符の通りに吹けば(弾けば)いいだけなのに、できない人がわかりませんでした。

歩けるなら走れるだろうに、走れないという人のことが謎でした。

 

できるまで努力しろよ、諦めるのが早すぎじゃない? なんて思っていました。

私は本当の意味で、「個性」を理解していなかったのでしょう。

 

パニック障がいは100人に1人発症すると言われるわりとメジャーな疾患です。

人によって症状やレベルが違うように、原因も人によって当然違います。

私がパニック障がいになったのは、体が変化する時期に無理を長期間強いていて、限界を突破したからだと分かっています。

他の誰のせいでもありません。

間違いなく、私自身が原因を作って私自身の心身を壊しました。

なので病気に抵抗した最初の2年と、まだまだ戦った次の3年を過ごし、5年ほどかけてようやくこう思いました。

 

…あ、これアレだわ。

神様が、こいつ一回修行させないとダメって言ってるんだって。

人間としての器? とかレベル? が低すぎるって判断されたのかな、と。

 

人生において、ほどほどに努力はしてきました。

良いと思われる選択をし、正しいと思った道を歩いてきたつもりです。

泣くよりは笑う方を選び、親や友人に誇らしく思ってもらえるように気を付けていました。

だけど病気になっていなかったら、世にも鬱陶しい傲慢な女ができあがっていたと、今は思います。

人生で性格に影響を及ぼすような大なり小なりの挫折が少なかったですからね、悪い意味で。

 

以下にパニック障がいになった結果を羅列してみましょう。

【良かったこと】

・病気の人、体が弱い人、障がいを持つ人の気持ちが少しでも理解できた

・家にいて家事をし、学校から戻る子供を迎えて世話ができる

・社会保障などについて知識が増えた

・自分以外の他人が一緒にいて感心を持ってくれることが、素晴らしいことだと気づいた

・立場によって「普通」が違うと気づいた

・人の優しさに敏感になり、感謝を感じる回数が増えた

・健康に留意するようになり体が元気になった

 

【悪かったこと】

・以前はできたことができなくてイライラする頻度が高い

・「普通の人」より頻繁に絶望や孤独、死に引っ張られる

・エンターテイメントや旅行といった外出を伴う楽しいことが一切不可

・家族や友人に大きな影響がある(相手の行動や活動に制限がかかったりする)

 

こんな感じです。

最も残念なのは、旅行や観劇、コンサートなどといった外出を伴う(もしくは人が大勢集まる・室内での)楽しいことがほぼ体験できなくなってしまったことでしょうか。

家族や友人に迷惑をかけることが多いのも苦しいですし、自分で働いてお金を得られなくなったために経済的不安も常にありました。

だけど、あとはメリットの方が多いんですよね。

 

人間として、病気発症前にくらべて各段に優しくなれたと思います。

人の愛情や優しさを感じ、以前より性格が穏やかで豊かになりました。

上から目線の発言が減り、許容範囲もかなり広くなったと思います。

 

パニック障がいは慢性化しており、おそらくこれからも劇的に良くはならず、ずるずると付き合っていかなきゃならないでしょう。

自分を洗脳して「大丈夫」を繰り返し、心身を粗末にしたことは、やはりダメなことでした。

だけどパニック障がいになったからこそ、良いことがたくさん増えたというのも事実だと感じます。

 

今でもたまに思いますよ、ええ。

「神め、いるなら降りてこいや。コノヤロー( ゚Д゚)」

しかしパニックを憎む気持ちはかなり薄れました。

10年近く経って、ようやく病気を受け入れつつあるのかなと思います。

もしくは諦めがついたのか、慣れたのか。

とにかく不の気持ちが少なくなってきたことは喜ばしいことですよね。

 

いつかはパニックを克服し、飛行機に乗って海外旅行を楽しめるまで戻りたいです。

友達と気軽にご飯を食べにいけるようになりたいし、もう一度外でも働きたい。

だけど今はとにかく、周囲にいてくれる人が笑顔でいられるように、できることをやろうと思います。

 

…とりあえず、今晩の晩御飯は唐揚げを大量に作ろか。

家族はきっと喜んでくれるでしょう。

 

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3年後の2023年4月、とうとう抗うつ薬から卒業しました~!!( *´艸`)

確実に、良くなっております!

 

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